Moanri’s blog

God only knows what I'd be without you.

春休みに読んだ本。Tea in front of you.

キャンパスで見かける表情に、春休みで癒された安堵感と再び学校が始まったという緊張感が浮かぶ。春休みなど幻だったかの様に、忙しない日々が始まった。

それでも土曜日は1週間の川の淀の様に、ゆっくりと時間が流れる。遅れて春休みがやってきたかのような小春日和の午後に、Light Houseに向かった。

 

 

3週間ぶりの会話練習でも、練習自体は快調に進む。今週から読み出した、Школа для дураков: A School for Fools *1 の要約の練習と発音練習を1時間かけて行う。

Школа для дураковという作品は、教授によると20世紀現代ロシア文学の代表的作品で、星新一のショートショートのロシア版を読んでいる様な感覚になる。たわいないアニークドートを詳しく記述している作品だから、要約すると数行の文でまとまってしまう。いや、正確には、私がまとめてしまうので、筆者のサッシャ=ソコロブさんに申し訳なくなってしまうのだが、ロシア語練習生の特権で許してもらうしかない。

 

 

練習後に、春休み読んだ本の話をした。そして、走馬燈の様に過ぎていく大学での日々で、忘れたくないこと、大切にしたいことを考えた。先輩は、春休み中に読んだ本のアナロジーから、“Tea in front of you”という言葉を選んでくれた。お茶は熱いうちに飲め、つまり、鉄は熱いうちに打ての様なニュアンスにも解釈可能だが、先輩は「瞬間を勝ち取る」というニュアンスでその言葉を解釈したようだった。大学生活だけでなく、人生そのものが(きっと)走馬燈の様に過ぎていくという前提の元で、いかに自分の生から多くの収穫を得るか。それはきっと、目に見える成果のみならず、自分に与えられたその日(お茶)から、ベストなものを引き出す。側から見れば、同じお茶かもしれないが、テイストする自分にとっては、何が最も自分を豊かにするお茶なのかということを意識することなのかもしれない。とはいえ、「瞬間を勝ち取る」というのは簡単なことではない。毎日飲むお茶が、最高級のティーパックから出されている確証もないし、ついていない日には、冷めきったお茶が出てくることもある。でも、私は思うのだ。目の前にお茶が出されるという、その品質は兎も角、そのお茶を感謝の思いで受け取ることはできないだろうか。きっと、毎日出てくるお茶はありふれた味のお茶かもしれないが、お茶が出てくるというその事実にありがたみを感じて、そのありふれたお茶を精一杯味わう。そういう姿勢が、人生というお茶を、ストレートで美味しく感じることのできる秘訣かもしれません。

 

今日のあなたのお茶に、幸あれ。

Louis Armstrong - What a wonderful world ( 1967 ) - YouTube

 

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Almaty, Kazakhstan