Moanri’s blog

God only knows what I'd be without you.

形式と個人的な人間

個人的な人間-社会世俗とは一線を画し、孤独な人間-になりたい人は少ない。孤独であり、寂しい存在に進んでなろうとするものは多くはない。私も、かつては孤独を恐れ、社会の潮流に乗り、流行を「正しい」と認識していた。しかし、学問を身につけ、歴史を修めるものとして、いかに今私が流行ととらえ、人々の意識に共有されている、と思っているものでも、zeitgeist-時代精神—でしかないのか。ということを、しみじみ感じてきた。私たちが絶対と感じているもの、国、男女の差や結婚、人種、お金、、、その多くのものがある特定の時代の人間が信じ込んでいるもので、社会的構築物に他ならず、それは時代の潮流と共に変わりやすく、一定の姿を留めない。そのことに気づいた時、自分の孤独に気づいた。そして、その形式や社会常識を盾に、自分ではない相手を皆、判断し区切る。(西洋)社会が生み出した区分や形式美は、科学と共に、人口に膾炙してきた。そちらの方が楽なんだと言える。家のない、平原に放り込まれて、自由があるが、享楽はない。そのような人生を望む人は、この世には多くないことを悟る。社会という形式に飲まれない人間。それは、もう人間ではないのかも知れない。人知れず何処かにある。