Moanri’s blog

God only knows what I'd be without you.

I do this because I like this.

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アメリカにいるのに、桜が咲いてる。

東京よりもすこし寒いコネチカットでは、桜の季節は4月中旬になる。

永遠にこないと揶揄される春も、やっと恥ずかしげに顔を見せる。

桜が葉桜になる頃には、Final(期末試験)と Commencement(卒業式)の季節がやってくる。

 

物事には終わりというものがつきものだ。

宗教とか、哲学とかそういったデキモノを抜きにして、“始めがあれば終わり”があると、そういう事実を僕は、桜をもって学び、a posterioriに受け入れて生きている。だからi、前に進もうと思うし、生きてもいるし、本も読む。

 

 

でも、始めと終わりのセットの仕方は、僕次第だ。産声を上げた時も私の始まりだし、アダムとイブが林檎を食べた時も始まりに成りうるし、アメリカに越してきた時もある意味僕にとっては、始まりである。終わりから始まりをdefineすることもできる。私が死ぬとき、産声を上げた時を始まりにするだろうし、食堂のミントチップアイスを食べ終わった時は、ミントチップアイスをチョイスしてscoopしたときが始まりなんだろう。でも時々、始まりと終わりの間が空きすぎて、なんで始めたのか忘れてしまうようなことが多い。アイスなら分かりやすいものの、この世に産まれて人生を始めた理由なんてものは、余りにも昔のことで恥ずかしながら、薄っすらとした理由も思い出せない。

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 今日、来週に控える一年分の総合試験に関しての全体ミーティングがあった。始めの授業だった政治学の教授を前に控え、懐かしい雰囲気に浸かりながら、彼女の大学院での総合試験の経験を聞く。そのトークの中で、なぜか

“I do this because I like this.”

という、plainすぎる文章が僕の胸を刺す。

“You guys should have done other experince that other students do at the sophomore year. But, you guys chose this challenge and you've done this far because you love this.”

 

苦しい経験も、感謝の念も、この1年間の労苦は、時にして初心を忘れさせてしまうし、初心すらをも疑わせる。けれども、やはり物事を始めてやり切ると言うことは、あなたがその物事を愛していたからに違いないのだ。そのことに気づくだけで、何か違った風が私を包む。

 

きっと、こんな言葉にこんなに感動する変わり者は、僕くらいだろうけど。(実際、友達にこのことを話したら、一笑に付されて会話が終わった。)

テストまでちょうど1週間。終わりはもう、すぐそこまできている。

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追記 (5/14):テスト終了後

人間の関係や形而上のことに関しては、もしかしたら決まった終わりはないのかもしれない。キッパリと崖のように切れるものもあれば、染物のようにグラデーションを醸すものもある。それでも、やはり「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」なのだ。どこかで、終わりらしきものは訪れるのだろう。とはいえ、テストは無事終わった。気持ちを改めて、吸収した知をいかに外に再構築するか。まだまだ課題は山積なのである。

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Middletown, CT. May 2019.